Boys Mature Slow
男子の成熟には時間を要すいい話。
男子成熟するには時間がかかる。15の頃にやりたいと思ってたことをやっと50代になってやっているわけだから。何度大人になっても「成熟」にはたどり着けないのか?ふと思う。
僕のジャズデビューアルバム「Boys Mature Slow(男子成熟するには時間を要す)」は2012年、2度目の大学卒業とともに出た。2008年1月10日にニュースクール大学のジャズピアノ科に入るためNYにやってきて4年半かけて卒業、自分でレーベルPND(Peace Never Die)レコーズを立ち上げリリースとなった。
<思いもよらなかった初日の挫折>
入学最初のオリエンテーション。聴音、実技、英語などの実力分けの後、実技試験があった。呼ばれた生徒の組み合わせで言い渡されたジャズフォームを舞台の上で即席に演奏する。
「君たちはFのブルースをやってくれる?ピアノの千里かな?カウントオフして」
ブルースフォームを知らなかった僕は「ブルースぽいことをやればいい」と甘く見ていた。始まった曲は僕の知っている「ぽい曲」ではない。明らかにジャズ。ソロが回ってきて、自分流にやってみるがなんか違う。そうこうしているうちに脱線し、僕はその即席バンドを混沌の世界へ落とし込んでしまった…。曲が終わるとみんな僕には声もかけずに去っていった。
<練習しすぎて予期せぬ足踏み>
授業が始まる。
「先生、このクラスに一人ポップスの響きの人がいる」
「それは僕です」
最低限のジャズのルールを知らない僕は相手にもされない。
「なぜこういう響き?」
「知らないの?」
そんな会話が続き絶望した。しょんぼり帰宅しがむしゃらに指練習をするの繰り返しのある日、突然左の腕が動かなくなった。この一学期の間に驚くほどの成長を遂げるつもりが競争から脱落した。医者に通いながら徐々に麻痺した神経を回復させるセッションが始まった。
「ライバルは他人ではないのよ。自分自身。数カ月ピアノが弾けなくても逆にチャンスよ。他人の演奏を注意深く聴くための」
先生にそう諭され従ったが、基礎クラスを抜けたと喜ぶ同期生を横目に悔しさで歯を食い縛る。
<悠々と飛んでいく鳥に気づかされたこと>
老眼が始まる。黒板の文字が見えない。ジャズの歴史の試験で覚えてたはずの知識がスラスラ出ない。焦りと嫉妬の落ち着かない日々。ある日ぼんやりとハドソン川を眺めている時だ。鳥の群れが飛んでゆく様を見た。共に弧を描きながら寒空を自由に駆け上がる。風の向きを利用しての旋回は力みがなく楽しそうに。彼らを見て思った。
「自分のペースで今やれることをやってみよう」
「高い跳び箱は飛べなくても自分の高さで跳んで、着地が世界一素敵になるように」
その日から僕は変わる。男子学びのドアを開けた日。ジャズを聴き、耳コピーし歌って覚える。歌詞の意味を考え歴史を学ぶ。ジャズのコードを当たり前のように弾く友人に「ちょっと待った!そのボイシング携帯で撮らせて!」と歩み寄る。撮った写真のドミナンスセブンを12のキーに動かして
ビジュアルで鍵盤を覚える。意識を変え動き始めると生活が変わり僕の耳はいろんなジャズをキャッチした。
<次々に続くドアを開けて>
ドアを開ける。その先にドアの数が増えている。その中の一つをまた開ける。またその先にドアが増える。その連続に途方に暮れる日々。一方で作曲する機会が授業で増えるたび活躍の場ができる。自分の個性をジャズに生かせばいい。自分のジャズを切り開けばいいのではないか。この頃ぼんやりそう思い始める。
<卒業後もドアは果てしなく>
結局4年半かかって迎えた卒業リサイタルの日。
「お前はわが校始まって以来最低の生徒だ」
僕にそう言ったジミーオーエン(TP)が演奏の後、僕を抱きしめてこう言った。
「君がどんなに時間がかかったか知っている。でも君は諦めなかった。いつか俺をソリストとしてハイヤーしろよ!」
今その日からさらに5年目を迎える。
今もドアを開くと先にドアがある。47で入学、51で卒業、今は56。そう考えると17で入って21で卒業、今は26と考えてみよう。クラスメートたちはそれぞれの国に帰ってもういない。ほんの数人の同期とNYの空の下それぞれの道を頑張る。たまに地下鉄で会うと「よ!」「サバイブしてる?」「はぐれないようにな」「お前も!」そしてハイファイブ。今日もまたドアがそこにある。男子成熟にはまだまだ時間を要す。

<大江千里(Senri Oe)>
47歳でジャズの音楽大学に入学、51歳で卒業、その年に自身のジャズレーベルを設立して、ニューヨークのブルックリンを拠点に4枚のアルバムをリリース。精力的に世界をツアーするピアニスト大江千里が中西部にやって来る。
「50をハタチと数えたら」は、50歳−30=20歳という筆者の頭の変換図式で、現在56歳-30=26歳という。2度目の「大青春」を泣き笑い謳歌する筆者がANGLE info読者に独占お送りする「抱腹絶倒」で「ほろり」とする「いい話」を10話お送りします。