大江千里の50をハタチと数えたら #9

Room Hydrangea
6月に思い出すピアノの先生とのいい話。

中西部のツアーが無事に終わりました。ものすごく有意義なツアーで語りたいことは山ほどあるのですが、ぐっと我慢して次回の最終回に取っておこうと思います。今回の話はこの季節になると思い出す僕のピアノの先生の話。

僕は3歳でクラシックピアノのレッスンを開始したのですが、その時の先生がユミ先生。当時オペラ歌手になるべく音大を目指す高校生の方でした。もちろん子供の僕には大人の女性に見え、厳しいレッスンには時に乗り越えられない壁を感じて途方に暮れたこともありました。母が自分の服をひもとき、その布のパッチワークに音符と僕の名前を刺しゅうして作ってくれたオリジナル手提げバッグにバイエルやハノンなどのテキストを入れて通っていました。

ある日レッスンからの帰り道、僕の住んでいる団地の中を通るとき、暗闇の中ずっと「ズルズル」妙な音が僕を追いかけてくるので「お化けだ!」と思って振り返ると、自分の手提げ袋の底が地面にすれていたのを発見し胸をなでおろしたことがあります。ピアノのペダルも届かないので補助台を使って足を置いて「早くちーちゃん(幼少の頃はチサトと呼ばれていた)もペダルが使えるといいね」なんて言われてました。

ユミ先生にはバイエルから始まってツエルニー、ソナチネ、ソナタ、インベンションを習いました。音大受験に集中しやすいように親元を出て、人の家の離れに住んでいた先生のその家には日本庭園が広がり、初夏にはアジサイの花が咲き乱れていたのを覚えています。一枚ガラス越しにピアノと先生が手を振っているのを見ると、僕も手を振り返して勇んで縁側から中に入ります。先生が褒めてくれると天にも昇る勢いではしゃいでどんどん練習するので、ユミ先生は「ちーちゃんはきっと将来ピアニストになれるよ」とおだててくれました。僕も「えへん!」とまんざらでもなく胸を張り先生の前では一丁前の騎士でした。

ユミ先生がある日、「ちーちゃん、今から先生が題をあげるから自由に弾いてみて」と言いました。これが作曲、インプロビゼーションの始まりだったのです。「それじゃ、スイカ!」僕は教材にあった中田喜直先生作曲の「どじんの踊り」を連想しながらスイカ人間が輪を作って踊っている曲を作り、夢中で演奏しました。パチパチ。先生が手を叩いて「ちーちゃん、これからちゃんとクラシックを練習してマルをもらった後は必ずこの遊びをやりましょう」と言ってにっこり笑ったのです。「おやつ」「クリームパン」「太陽」「風邪ひき」など、それからというものの先生のくれる題目にピアノで答えるのが楽しくて、そのあと先生に「ちーちゃんは作曲家になれるかもよ」と言われるのが嬉しくて、ユミ先生の縁側に底のすり切れた手提げを引きずりながら通い続けました。

そんなある日、アジサイの季節、先生の家に勇んで向かうと男の人がいたのです。僕が立っているのに気がつくと二人はそっと離れた。その気配に僕は子供ながらに何か自分の大切な存在を取られたような寂しい気持ちになったのを覚えています。

その日の練習の最後にユミ先生が出したお題が「アジサイ」でした。どんなメロデイを弾いたのか忘れてしまったのですが、その日の光景だけは今でも鮮明に思い出されるのです。ジャズ2枚目の「Spooky Hotel」に「ROOM HYDRANGEA(アジサイの部屋)」という曲を作曲して入れてます。この季節になると思い出す先生へのオマージュです。

<大江千里(Senri Oe)>
47歳でジャズの音楽大学に入学、51歳で卒業、その年に自身のジャズレーベルを設立して、ニューヨークのブルックリンを拠点に4枚のアルバムをリリース。精力的に世界をツアーするピアニスト大江千里が中西部にやって来る。
「50をハタチと数えたら」は、50歳−30=20歳という筆者の頭の変換図式で、現在56歳-30=26歳という。2度目の「大青春」を泣き笑い謳歌する筆者がANGLE info読者に独占お送りする「抱腹絶倒」で「ほろり」とする「いい話」を10話お送りします。