Takashi Murakami(村上隆)「タコが己の足を食う」展示会訪問@MCA

2017年9月 Takashi Murakami(村上隆)展示会訪問@MCA

アメリカの若い方たちから、アメリカ在住の芸術家Takashi Murakamiのことを聞いた。
*素晴らしい
*神秘的だ
*圧倒された
*気味が悪い
こんな感想を引きだすTakashi Murakamiを知らないままにしておくわけにはいかない。いったいTakashi Murakamiとはどのような芸術家なのか。

<はじめに>
近所に住む私の生徒が個性的なTシャツを着ているので尋ねてみると、「MCA(シカゴ現代美術館)でTakashi Murakamiの展示会が開催されていて、そちらで買いました」と答えた。おまけに「私の父はMCAの館長です」と聞き捨てならないことを付け加えた。そして、彼の父親から、私をぜひ招待したいとのメールを頂いたが、その日はあいにく都合がつかず行くことができなかった。しかし、「村上隆」という日本人画家のことは、若い学生たちから聞いたことがあるので、館長には会えないが、日本まで行かなくてもシカゴで村上氏の作品を鑑賞できるとあれば、この機会を逃がすのは惜しい。展示会の終了が迫った9月末、主人と一緒に訪れることにした。

<MCAの場所>
シカゴには日本総領事館があり、道路を挟んで4階建ての大きな建物が見える。それがMuseum of Contemporary Arts(MCA)だ。私はこれまで数回訪れたことがあるが、今回は意外な展開で村上氏の展示会を鑑賞することになった。
<展示のテーマ>
会場に立ってみると、正面には、上からのしかかってくるような巨大な壁があり、海の波のような絵で覆われている。よく見ると、波には無数のイボが付いている。どうやらタコの足のつもりらしい。今回の展示会のテーマは“The octopus eats its own legs(タコが己の足を食う)”であり、タコの足は今回の展示のシンボルだ。タコが自分の足を食べて生きていく、とはどういうことなのだろうか。ちょっと考えただけでは想像がつかない。

<村上隆氏とは>
氏のことはほとんど知らないので少し調べてみた。1962年に日本で生まれ、成長し、アニメーターを志し、宮崎駿監督に憧れたが、挫折をして、以前から興味のあった日本画を習い、東京芸術大学に入学。大学卒業後は同大学院に進み、博士号を取得。博士論文は「美術における『意味の無意味の意味』をめぐって」というタイトル。伝統芸術に対する氏の宣戦布告のようだ。現代のマンガ、アニメーションのようなポップカルチャーと日本の伝統芸術の統合をはかろう、ということを生涯のターゲットとしたらしい。
伝統芸術の枠からはみ出すのであるから、当然、批判は続出。怒り狂うライバルも現れたようだ。1994年NYで個展を開き、それ以来NYにも拠点を置き、芸術家としての活動を開始。ビジネスにも着手し、会社を起こして広告を担当し、アイコン入りのシャツなどを販売。その会社の名前が「カイカイキキ」、「怪怪奇奇」つまり「奇怪」ということだ。東京芸術大学大学院出身の博士だから才能の方は保証付きだが、氏の発想は「奇奇怪怪」なのか。日本もアメリカも世界も、氏の才能に良い意味で振り回されそうだ。

<展示I 2011年まで>
MCAの4階フロア―の全てが、氏の作品で埋め尽くされ、年代も記されている。作品の第1の特徴は絵のサイズ。とにかく大きくて、背が高い。天井に届くほどの作品であり、巨大と言った方があたっている。
第2の特徴は圧巻の迫力。ただ大きいだけではなく、上から圧倒してくる。氏の作品は詳細な描写の積み重ねであるが、完成された作品はその大きさと共に、強いインパクトを与える。
第3の特徴はアニメーションやマンガからの影響。ある作品では、巨大な“ドラえもん”が飛び跳ねている。しかし、私たちが知っている“ドラえもん”とは違って、氏の描く“ドラえもん”は大きな耳が付いている。“ドラえもん”よりも妹の“ドラミちゃん”に似ている。でも“ドラミちゃん”の耳は三角形だが、氏の“ドラミちゃん”の耳はまん丸だから、別のキャラクターにも見える。確かに、氏はマンガやアニメーションの影響を受けているようだ。似たような絵が次々と現れ、見る者の目を楽しませてくれる。小さなアニメーションの顔が一面に並ぶようなデザインを背景にして、大きく描かれたアニメーションの主人公が飛び跳ねているようだ。
第4の特徴は色。原色を使い、じつに色鮮やかだ。そして、イラストの絵のどこかに三つの文字D、O、Bが見られる。これは氏の雅号の一つらしい。彼は自分をМr. DOBと表現する。日本のあるマンガの中で、困ったときに”Dobojite, Dobojite”と叫ぶ主人公がいる。「どうして、どうして」と言うところを「Dobojite, Dobojite」と言ったのだが、もちろん意味は「どうして、どうして、Why? Why?」だ。これを自分の雅号にしてしまったのであるから、ずいぶんマンガ的な発想だと思うが、氏の博士論文のタイトルである「意味の無意味の意味」から由来しているのかもしれない。