【第286回】インド

インド再訪問は再トラブルの旅だった!

アフリカ、ヴィクトリアの滝からヨハネスブルグを経て香港へ。香港でチケットを購入し、インドへ。インド内は最南端のコモリン岬と北部、カシミール地区が目的だった。ムンバイに到着してから旅行社に飛び込み、9泊の全土周遊ツァーを組んでもらった。 
ウェイスト・バッグを置き忘れた!:香港空港で下痢に襲われトイレへ。ウェイスト・バッグを置き忘れ、「あっ!」と気付いたのは20分後。血の気が引いた。慌てふためきそのトイレに駆け込んだ。「あった!」。20分間も経ていたがよくも盗難にあわなかったものだ。入ったトイレがハンディキャップ用だったからか。貴重品全部入ったウェイスト・バッグだ。ムンバイ-カシミール間の航空券、移動ハイヤー代、ホテル9泊代金等、$3500は入っていた。運に助けられたのだった。体調を狂わせたのは前夜の香港での魚料理。筆者は翌早朝から、ワイフは1日後、コモリン岬行きのハイヤーの中で嘔吐と下痢が始まった。土砂降りの中3回車を止めてもらってトイレに駆け込み、4時間かかってホテルに到着、翌1日ホテルで寝ていた。ムンバイで入国、アライバル・ヴィサで通過出来ることを空港係官は知らず、滞在先の確認その他で待たされること1時間。空港からのタクシーも運転手がホテルを間違える等、散々だった。有名なインド門に近い場所だったのだが。
ヴィヴェーカーナンダが訪れたコモリン岬:人が沸き出てくるインド。20年前と情景は変わっていない。ヒンドゥーの聖地は想像を絶する人気で、ワー!と華やか、庶民も遠出の旅が出来るようになったようだ。通りの土産店など混雑して覗ける状態ではない。宿泊したリゾートホテルには、天井には温度調整のプロペラが回転していた。岬突端の寺院には、筆者はワイロを渡して行列を避け裏から通されてお祈りした。筆者は前回離島にも船で行ったが、今回は離島行きの船は長蛇の行列、諦めた。前回の船では話しかけてきたお嬢さんを思い出した。優雅な振る舞いと流暢な英語力だった。庶民の皆さんはバスに寝泊まりしてやって来ても岬突端の寺院で祈りをあげるのが精一杯で、ティルヴァッルヴァルの像のある離島まで船で行ける人は少ないだろう。
コーヴァラム・ビーチでサンセット観賞:
大石の点在する荒波の海岸線に沿って一路北上し、きれいな湖のあるリゾートに到着、アグアサレーノホテルに決めた。オフシーズンで宿泊客は我々だけ。食事が口に合わないので人力車で街に出た。散髪、時計修理などして地元民の暮らしを体験し、果物も買い込んでその廉価に驚いた。折角湖畔の宿に来たのだからとボートで湖上周遊したが我々だけ。30分7ドル、船影のない観光は侘しいものだ。翌日目的のコーヴァラム・ビーチに。紺碧の海と椰子の列、歩けばキュッと鳴る砂浜、アラビア海に沈む夕日が美しい。3つのプール付き大ホテルに泊まり、砂浜に接する土手に備えられたテーブルでビールを頂きながら海に落ちるサンセットを観賞することにした。気分は最高!!!イギリスから来た同年令の旅人夫婦も別テーブルで入り日を観賞していた。近くの2ホテルに2週間滞在してインドの休暇を楽しんでいるという。イギリス人のゆとりに羨望と共鳴を覚えつつ、我々日本人は1か所に長期滞在するレジャー型休暇がまだ身についていない人種だと改めて実感した。(続く)

(左)離島に立つティルヴァッルヴァルの像(右)アラビア海に沈む夕日を地元ビールKingfisherで楽しむ

文・写真/小川律昭

筆者プロフィール
<小川律昭(おがわただあき)> 86歳
地球漫歩自悠人。「変化こそわが人生」をモットーとし、「加齢と老化は別」を信条とし、好奇心を武器に世界を駈け巡るアクティブ・シニア。オハイオ州シンシナティと東京、国立市に居所を持つ。在職中はケミカルエンジニア。生きがいはバックパックの旅と油絵。著書は「還暦からのニッポン脱出」「デートは地球の裏側で!夫婦で創る異文化の旅」。

<小川彩子(おがわあやこ)>80歳
教育学博士。グローバル教育者。エッセイスト。30歳の自己変革、50歳過ぎての米国大学院博士過程や英・和文の著書による多文化共生促進活動は泣き笑い挑戦人生。「挑戦に適齢期なし」を信念とし、地球探訪と講演・発表の日々。著書は「Still Waters Run Deep (Part 1) (Part 2)」「突然炎のごとく」「Across the Milky Way: 流るる月も心して」ほか。
【HP】http://ogawaa.web.fc2.com/
【ブログ】http://blog.goo.ne.jp/ogawaa