【第289回】日本

平成最後の日、昭和記念公園と富士山麗を訪問、令和時代へ平和を祈った

アメリカから来た友人Y子が、「すい臓癌なので日本の友人にサヨナラを言いに来た」、「出来る限り多くの『日本の美』を観て帰りたい」と言う。筆者も腎う癌で苦しんだ年月が長い。筆者の癌はどんどん後退しているので彼女を案内しつつ、癌撃退法を教えてあげようと張り切り、まずは立川市と昭島市の両市にまたがる昭和記念公園へと出かけた。

昭和記念公園は可愛い花で染まって
 昭和天皇御在位五十年記念事業の一環として1983年、昭和天皇ご臨席のもとに開園されたという公園だ。桜には遅かったが、チューリップ、菜の花が豪華に咲き誇り、ネモフィラという紫色の可愛い花が地面をふわ~っと紫色に染め、優しい雰囲気を演出していてY子は大喜び。日本庭園や我が国初とうたう国営盆栽苑も覗き、200年物の盆栽も見た。夫が専門的な質問をするので係官がつきっきりで親切に説明してくれた。165.3 ヘクタールという広い公園内を歩き回り、立川駅に出て有名な自然食バフェへ。Y子は有機栽培の安全食品志向なので殊更喜んでくれ、午後は多摩川土手歩き。これも喜んだが、土手からくっきりと壮麗な富士山が見えたから。「富士山麓には親友が居る」と言ったら、「そこも行きたい!」と言うので親友Reiko&Georgeさんが住む山中湖村へと出かけた。

富士山の霊気で充電された!
 富士山麓の清涼な空気に包まれた瀟洒な友人宅の庭には花が咲き乱れ、赤い数珠のように熟れたトマトが「花に負けじ!」と彩りを競い、人懐こい犬、モモコが甘える庭に座り心地の良い椅子が並べられ、囲んだテーブルにはReikoさん手作りの新鮮で超美味な無農薬野菜のご馳走が。富士山の霊気を感じつつ5人のおしゃべりは弾んだ。Reikoさんに徳富蘇峰館、三島由紀夫文学館やNPO経営の情報創造館(立派な図書館や研修館)に案内されたが、図書館で、「ご夫妻の著書があるのよ!」と、拙著、「地球千鳥足」の検索を楽しませてもらった。余談だが筆者の名、「彩子」は徳富蘇峰の命名だ。「あやこ」と読む「彩子」は蘇峰命名の筆者が元祖だろう。蘇峰は秀麗な富士山を望む山中湖をいたく気に入り、湖畔の双宜荘で「近世日本国民史」100巻完結した。彼の新聞社、「民友社」は2度も焼打ちにあい、長男も失った後、毎日富岳を仰ぎ、その倒景の湖面に反射する山中湖を眺めて元気な自己を取り戻していったという。94歳の時の彼の言葉、「衰朽猶存鉄石心」(老い朽ちかけてもなお鉄石の心があるゾ!)にはいたく共鳴した。
 東京の喧騒は嘘のよう。ありとあらゆる話題―George夫妻が参加しているNPO活動、徳富蘇峰の人生、バックパックの旅あれこれ、ストレス解消法から深層心理学まで話題は尽きず、5人でのDiscussionの後、Y子の癌ストレスは霧消していた。久方ぶりに会った17歳のモモコちゃん、人間でいえば米寿だとか、元気がなく、「また会う日まで頑張ってね!」と励まし、富士山麗を後にした。富士山の霊気で充電されたY子の高揚した顔が帰路の青空に映えた。ホテルに帰るY子と共に「平成」も見送ったが、癌と戦っているY子も、読者の皆さまも健康を維持し、やってきた「令和」の時代が平和でありますよう祈りつつ。

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(時計回り)ネモフィラを背に昭和記念公園にて、モモコちゃん、ネモフィラという可愛い花、昭和記念公園の中の風景

文・写真/小川彩子

筆者プロフィール
<小川律昭(おがわただあき)> 86歳
地球漫歩自悠人。「変化こそわが人生」をモットーとし、「加齢と老化は別」を信条とし、好奇心を武器に世界を駈け巡るアクティブ・シニア。オハイオ州シンシナティと東京、国立市に居所を持つ。在職中はケミカルエンジニア。生きがいはバックパックの旅と油絵。著書は「還暦からのニッポン脱出」「デートは地球の裏側で!夫婦で創る異文化の旅」。

<小川彩子(おがわあやこ)>80歳
教育学博士。グローバル教育者。エッセイスト。30歳の自己変革、50歳過ぎての米国大学院博士過程や英・和文の著書による多文化共生促進活動は泣き笑い挑戦人生。「挑戦に適齢期なし」を信念とし、地球探訪と講演・発表の日々。著書は「Still Waters Run Deep (Part 1) (Part 2)」「突然炎のごとく」「Across the Milky Way: 流るる月も心して」ほか。
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