竹久夢二の「かあいい」世界
こんにちは。g to yの大藏優子です。
新型コロナウィルスの感染拡大で、現在世界中が非常事態にあります。皆様いかがお過ごしでしょうか?
行きたいところへどこにでも行けて、いつでもたくさんの人たちと楽しく集まれた日々が夢のように思えます。まさかこんな春が来るとは夢にも思っていませんでした。
一方で外出自粛の今、自分と向き合う時間がたくさん与えられました。
この機会に自分自身のこと、仕事のこと、いろいろ見つめ直してみようと思います。
一日も早い終息を願うばかりです。皆様どうぞご自愛ください。
さて、Kujira repの佐智子さんと交互に「着物と遊ぼう、和に暮らそう」をテーマに連載しているこのコラム、こんな時は美しい着物から元気をもらいたいと思います。
そこで今回は竹久夢二について書こうと思います。
この時代の着物はポップで気持ちが明るく弾みますよね。
竹久夢二は、「夢二式美人」と呼ばれる数多くの美人画を描いた、「大正ロマン」を代表する画家です。きっと誰もが彼の絵を見たことがあると思います。
今年の初めに東京都文京区にある竹久夢二美術館を訪ねました。
この美術館は東京大学の真横にあり、谷根千エリアも近く、散策も楽しいロケーションにあります。個人的には「あら、これだけ?」と思う数のコレクションでしたが、それでも大正時代の元気な文化に触れることができたのは有意義なことでした。
彼の美しい作品を見た後、一体彼はどういう人物だったのだろうか?と、図書館で夢二の本を5、6冊借りて読みました。
どの本にも必ず詳しく書かれていたのは、夢二の愛した代表的な3人の女性との逸話。たまき、彦乃、お葉さんです。一言でいうと「激しい」です。読むだけでぐったりしました。短い人生の中で(彼は49歳で亡くなっています)、たくさんの素晴らしい作品と激しい恋の数々。いやはやエネルギッシュな殿方です。それにしても自分の死後、自分の恋愛遍歴をこんなに事細かにいろいろな本に書かれてはたまらないですね。
私が興味深かったことをまとめてみました。
その① 日本で初めて「かわいい文化」を発信した人!
海外でも注目を浴びる日本の「Kawaii(かわいい)」文化。実は夢二が、自身がデザインした小物を“かあいい”という言葉を用いて紹介しました。夢二は、暮らしや装いに彩りを添える仕事に才能を発揮した「かわいい」文化の先駆者でもありました。
その② 当時の女性のファッションリーダーだった!
いわゆる「夢二式美人」は、髪の形、リボンのつけ方、かんざしのさし具合、着物の着こなし、さらには帯の結び方、帯留や帯締など細かに描き、当時の若い女性は彼の絵を大いに参考にしていたそうです。確かに夢二の絵は驚くほど具体的です。実用的なファッション誌の役割を果たしていたことが見て取れます。
その③ 日本初の「ファンシーショップ」を開店!
夢二は、大正3年(1914年)に東京日本橋に「港屋絵草紙店」を開店し、自身がデザインした木版画や千代紙、絵封筒、浴衣や帯、半襟などを販売しました。
(ちなみに「ファンシーショップ」とは、和製英語で、「10-20代の若者向けのグッズを取り扱う店舗のこと」を言うそうです。)流行発信地として店は大層繁盛したそうです。んー、行ってみたかったです。
それにしても「今日は帝劇、明日は三越」なんて頃の東京を歩いてみたいですね。ハイカラなモガ(モダンガール)などで活気に満ち溢れていたことと思います。ちなみにこのキャッチコピーのポスターも夢二が描きました。機会があったら是非ご覧下さいね。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。それでは皆様、またお目にかかれる日までどうぞお元気で。

左:図書館で借りた「竹久夢二かわいい手帖」これは私の一押し夢二本です。夢二の作品がたくさんカラーで掲載されています。外出できない今こそ強くオススメしたいです。私も買って永久保存します。右上:夢二本がピッタリ入るg to yのリバーシブル着物バッグ。右下:「かあいい」着物たち
<筆者 infomation>
福井佐智子
Kujira Japanese art & craft community 代表
シカゴ和風倶楽部、阿波踊りシカゴ美湖連等の活動に参加。
生き物を愛し、捏ねないパンを焼きます。
【website】kujira.weebly.com
【Instagram】 @kujirarep
【Twitter】@kujirarep
g to y 大藏優子
日々庭仕事をしながら草花と暮らし、着物をほどいて和小物の創作をしています。
世界をきょろきょろ見渡しながら、日本人が持っている美意識や四季を楽しむこと、日々の暮らしを慈しむことを大切にしている二人です。
【Instagram】@gtoy_design
【Facebook page】@gtoy.design